「失敗できる」ことの価値

テストでいきなり高得点を取れれば良いのですが、そう甘くはない。

「高得点を取れない」ということは、言い換えると、「それだけ間違えている」ということ。

で、「間違える」こと、「失敗する」こと自体は悪くないんですよ、実は。

失敗をそのままにしてしまうから「失敗」が確定してしまうのです。

「失敗できる」ことの価値

勉強ゲームは、紙とペンさえあればプレイ可能なゲームです。自分一人だけでプレイ可能。

と言うか、一人で勉強する時間こそが勉強ゲームのメインタイムです。

そんな時、間違えたっていいんです。どうせ、他人は見てないんですから。

失敗することで「できない」を自覚し、「できる」に変えていけば良いだけの話。

そう考えると、「失敗できる」ことの価値は高い。

勉強ゲームの場合、失敗したってノートのページをめくれば何度だってリトライ可能。

普段の失敗コストが低い分、遠慮なく失敗できる。失敗しながら、経験値を稼げば良いのです。

もしも

勉強ゲームは、失敗できるのが良い。

もしも、あなたが葬式会社の社員で「1番高額なプラン」を担当することになったら大変です。

もちろん、リハはするんでしょうけれど、失敗できないじゃないですか。

「段取りを間違えちゃいました。テヘッ♪」

などとは言えない空気ですよね。

もしも、あなたが医者で「何か違和感がある若い患者」の担当になったら大変です。

その「何か」を見逃してしまったら、患者に「不幸」が起きるかもしれない。

「見逃しちゃいました。テヘッ♪」

では済まされないでしょうね。

失敗から学ぼう

「失敗できない」、「失敗が許されない」ことと、「失敗しない」は別。

そこを混同し、かつ失敗してしまう生き物。それが我々、凡人、一般人。

ならば、失敗できるうちになるべく失敗しておくのが賢明。失敗から学ぼう、ってことです。

失敗を出し尽くすことで、本番時に失敗しなくなるような体質になりましょう。

次回は、こちら。

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