「わかる」とは「分ける」こと

「学校の勉強・授業が、わからない。」

そう言う生徒は多い。

ただ、生徒によって「わからない」のレベルは変わります。そこを深掘りすることで、より効率的に勉強できます。

そもそも、「わかる」って何なのでしょう?

個人的には、「わかる」とは「分ける」ことである、と定義しております。

分けよう

「わかる」とは「分ける」ことであるとするならば、

「アレとソレの区別ができる、分けることができる状態」

「わかっている状態」

と言うことができます。

「セクゾとキスマイを区別できる」

「3代目とジェネを区別できる」

「乃木坂と欅坂を区別できる」

そういう人は、「わかってる人」とか「詳しい人」と呼ばれますよね。

スポーツでも、そうです。

「オフサイド」と「オフサイドではないプレイ」を分けることができる人は、「サッカーをわかっている」と言えます。

「わかってない」場合、分けられないのです。

「わかってない人」は、そもそも「何がわからないか」すら「わかってない」。

問題を「理解できている」、「理解できていない」のどちらかに分けることすらできない。

ですから、「わかる」ようになるためには

「どこまでわかっていて、どこからわからないのか」

がハッキリするように、問題を切り取っていく、分けていく必要が有ります。

具体例

例えば、テキストを解いていて(1)~(3)まではスラスラ解けたのに(4)で止まった場合、

「(4)がわからない」

ってことは、誰でも気づけます。

大事なのは、その後。

「(4)が、わかりません。」

で済ませていては、ずっとわからないまま。

「なぜ(1)~(3)までは解けたのに、(4)が解けないのか?」

「(4)が他と違うのは、どこか?」

を問うのです、自分自身に。

止まってしまう部分を探すために、分けるのです。

「(4)のここまでは理解できた。この先がわからない。」

まで来れば、あとは、その部分の解説を参考書なり他人なりに頼めばよい。

逆に言えば、「わからない部分の切り取り」がまったくできないと、問題の解決が難しい、または解決のためにお金を払う必要がでてきます。

「分かる」

当ブログでは今後、

「わかる」とは「分ける」こと

を意識するために、「わかる」を「分かる」と表記します。

あなたも、勉強が「分かる」ようになれると良いですね。

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